第18回 兄弟

私は3人兄弟であり、一番上とは上京後、2年一緒に住んでいた。

その間度々衝突をし、険悪な関係をあまり改善することができずにまた別居することになったわけだが、その原因について改めて考えてみたい。しかしそれに先立ち、なぜ実家にいたときはそこまで対立はなかったのか、ということについて検討してみたい。

 

まず一つ目は共通の脅威(これは言いすぎか?)の存在である。

我が家は父親が一番パワーを持っていた。と言ってもDVや虐待が起きていたというわけではない。昭和的な家父長制が残存するというニュアンスである。

躾が厳しかったことには感謝もあるが、子供からしたら「めんどくせぇなぁ」と思うことも多々あったというわけだ。

そのため我々兄弟は団結した。単体では勝てないため、集合することで対抗を試みたのである。このような状況下、多少の軋轢は無意識に我慢されていたのであり、そのため表面的には対立が解消されていた。それゆえ、上京し、父の存在から距離をとると団結は解消、それまでの憤懣が一気に噴き出たのだ。

 

同様の事例は第二次世界大戦に見出すことができるだろう。

米英が本質的にファシズムと同じである共産主義と手を結んだのは、枢軸国に勝利するために他ならない。従って枢軸国の敗北が濃厚になり、逆にソ連が共産圏の拡張を始めると、同国への警戒を米国は強め、封じ込め政策そして冷戦へと移っていくのである。

イデオロギー的・文化的な違いを無視した、単純なパワーバランスに基づく同盟が、如何に不安定かを如実に示す例と言えよう。

 

話は少しそれるが、一般に弱者同盟は無益なものとされる。

パワーバランスの改善にあまり貢献しないだけではなく、潜在敵国を徒に挑発してしまうからである。1902年に日英同盟が締結されたのは、日本が臥薪嘗胆をスローガンに軍備増強に努め、英国のパートナー足りうると判断されたからであろう。三国干渉時には日本を支援してくれる見込みのなかった同国が、その「光栄ある孤立」政策を転換して同盟に至る経緯には、このようなリアリズム的国際政治観が多分に関係していたのである。

また弱者同盟に対抗して、大国は一国ずつ交渉することで団結を切り崩そうとするかもしれない。中国の春秋戦国時代、他6か国の同盟に直面した秦は、連衡=(それぞれと個別に同盟を結ぶこと)で協力関係を分断し、状況を打開した。現在の東シナ海におけるASEANとの交渉も同様の外交方針が反映されている。我々の団結も、父が個別に懐柔していればあっという間に崩壊したのであろう。

 

閑話休題