第37回 いざ野性を証明せむ

週末に入り、ほっと一息をつく。

昨日は実に約15時間近く勤務していたことになる。幸か不幸か、先輩が異動となったタイミングで抱えていた案件が大詰めの段階に入り、内外の圧力の中で苛烈な調整を求められるようになった。いずれにせよ貴重な経験である。

得てして華やかな成果の裏には、散っていった無数のロジ(logistics)隊員がいる。一秒、一言、一文字のために骨を砕いて身を粉にする名も無き彼らと戦えたことに誇りを覚えながら、新幹線の中で瞼を閉じた。

第36回 雑記

ラブライブサンシャインの1期を視聴した。第4話には主人公のこんなセリフが登場する。

「一番大切なのはできるかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!

素敵なセリフである。自分のやりたいことに出会い、壁に直面しても折れることなく希望を抱いて進み続ける彼女達の姿は美しく、そしてあまりに眩し過ぎる。

希望は諸刃の剣だと思う。飛翔のエネルギーとなるそれは、絶望の際には位置エネルギーとなって容赦なく自分を地面に叩きつける。まどマギなどはその負の側面を克明に描いた作品であろう。

勿論飛ばなければ見えない景色は存在し、また何度地面に打ち付けられても這い上がる執念があれば、上記の問題は些末なことなのかもしれない。

そこで鍵となる最初のセリフに戻ろう。「自分のやりたいこと」は何なのだろうか。敷衍すれば、自分はどのような人生を歩みたいのか。春から社会人となる身だが、これに対する明確な答えは未だに出せていない。

間違えないことを求め過ぎるあまり、気が付いたら4年もの月日が経っていた。その間ずっと逃げるための言い訳を探していたような気がする。コロナ、進学振分け、資格試験、就職活動、卒論etc……分かりやすい理由を見つけては何処か安心した自分がいた。そして社会とはこんなものなんだと一人納得して、自分は己がやりたいことを見つけたのだと言い聞かせていた。これで良いのだろうか。

しかし、意識的にやりたいことを探すのは本当に難しい。本来無意識に選別するものを、現実における種々のバランスを踏まえつつ取捨選択していかねばならないからだ。恐らくもっと無邪気にフィーリングで決めていいのだろうが、自分にはその勇気が出さないでいる。

何時ぞやのブログで自分は安定を求めると記した。それは生活や金銭だけでなく主義信条など思考の面も包含する。考えの変化は、以前の視点の捨象に繋がる。それが過去の自分との繋がりを断つようで、どうにも嫌なのだ。成長として前向きに捉えられればいいのだろうが、不器用な自分には中々難しい。

アップデートしていく部分と、自分の芯として残していく部分。どう配分するのがいいのかはまだ暗中模索である。元インターン先の理事長は「人生は迷うな、されど考えよ」と仰った。私はこの言葉を「絶えず評価し、迅速に決断せよ」と解釈している。この先の道はまだ何も分かっていないが、分かるための努力はし続けたい。

第36回 雑記

ラブライブサンシャインの1期を視聴した。第4話には主人公のこんなセリフが登場する。

「一番大切なのはできるかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!

素敵なセリフである。自分のやりたいことに出会い、壁に直面しても折れることなく希望を抱いて進み続ける彼女達の姿は美しく、そしてあまりに眩し過ぎる。

希望は諸刃の剣だと思う。飛翔のエネルギーとなるそれは、絶望の際には位置エネルギーとなって容赦なく自分を地面に叩きつける。まどマギなどはその負の側面を克明に描いた作品であろう。

勿論飛ばなければ見えない景色は存在し、また何度地面に打ち付けられても這い上がる執念があれば、上記の問題は些末なことなのかもしれない。

そこで鍵となる最初のセリフに戻ろう。「自分のやりたいこと」は何なのだろうか。敷衍すれば、自分はどのような人生を歩みたいのか。春から社会人となる身だが、これに対する明確な答えは未だに出せていない。

間違えないことを求め過ぎるあまり、気が付いたら4年もの月日が経っていた。その間ずっと逃げるための言い訳を探していたような気がする。コロナ、進学振分け、資格試験、就職活動、卒論etc……分かりやすい理由を見つけては何処か安心した自分がいた。そして社会とはこんなものなんだと一人納得して、自分は己がやりたいことを見つけたのだと言い聞かせていた。これで良いのだろうか。

しかし、意識的にやりたいことを探すのは本当に難しい。本来無意識に選別するものを、現実における種々のバランスを踏まえつつ取捨選択していかねばならないからだ。恐らくもっと無邪気にフィーリングで決めていいのだろうが、自分にはその勇気が出さないでいる。

何時ぞやのブログで自分は安定を求めると記した。それは生活や金銭だけでなく主義信条など思考の面も包含する。考えの変化は、以前の視点の捨象に繋がる。それが過去の自分との繋がりを断つようで、どうにも嫌なのだ。成長として前向きに捉えられればいいのだろうが、不器用な自分には中々難しい。

アップデートしていく部分と、自分の芯として残していく部分。どう配分するのがいいのかはまだ暗中模索である。元インターン先の理事長は「人生は迷うな、されど考えよ」と仰った。私はこの言葉を「絶えず評価し、迅速に決断せよ」と解釈している。この先の道はまだ何も分かっていないが、分かるための努力はし続けたい。

第36回 雑記

ラブライブサンシャインの1期を視聴した。第4話には主人公のこんなセリフが登場する。

「一番大切なのはできるかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!

素敵なセリフである。自分のやりたいことに出会い、壁に直面しても折れることなく希望を抱いて進み続ける彼女達の姿は美しく、そしてあまりに眩し過ぎる。

希望は諸刃の剣だと思う。飛翔のエネルギーとなるそれは、絶望の際には位置エネルギーとなって容赦なく自分を地面に叩きつける。まどマギなどはその負の側面を克明に描いた作品であろう。

勿論飛ばなければ見えない景色は存在し、また何度地面に打ち付けられても這い上がる執念があれば、上記の問題は些末なことなのかもしれない。

そこで鍵となる最初のセリフに戻ろう。「自分のやりたいこと」は何なのだろうか。敷衍すれば、自分はどのような人生を歩みたいのか。春から社会人となる身だが、これに対する明確な答えは未だに出せていない。

間違えないことを求め過ぎるあまり、気が付いたら4年もの月日が経っていた。その間ずっと逃げるための言い訳を探していたような気がする。コロナ、進学振分け、資格試験、就職活動、卒論etc……分かりやすい理由を見つけては何処か安心した自分がいた。そして社会とはこんなものなんだと一人納得して、自分は己がやりたいことを見つけたのだと言い聞かせていた。これで良いのだろうか。

しかし、意識的にやりたいことを探すのは本当に難しい。本来無意識に選別するものを、現実における種々のバランスを踏まえつつ取捨選択していかねばならないからだ。恐らくもっと無邪気にフィーリングで決めていいのだろうが、自分にはその勇気が出さないでいる。

何時ぞやのブログで自分は安定を求めると記した。それは生活や金銭だけでなく主義信条など思考の面も包含する。考えの変化は、以前の視点の捨象に繋がる。それが過去の自分との繋がりを断つようで、どうにも嫌なのだ。成長として前向きに捉えられればいいのだろうが、不器用な自分には中々難しい。

アップデートしていく部分と、自分の芯として残していく部分。どう配分するのがいいのかはまだ暗中模索である。元インターン先の理事長は「人生は迷うな、されど考えよ」と仰った。私はこの言葉を「絶えず評価し、迅速に決断せよ」と解釈している。この先の道はまだ何も分かっていないが、分かるための努力はし続けたい。

第35回 萱草を焼いて

高校同期たちと酒を飲み交わしていると、図らずも中学高校当時に言い及ぶ事が少なくない。自分が全く知らなかった出来事や、関与していた行事の裏話などに耳を傾けるのは非常に面白く、また感慨深い気持ちに包まれる。

だがふと、自分が経験したはずの出来事、さらに言えば自分が当事者の一人であるはずの出来事について話題が移った際に複雑な心持になることがある。概要は思い出せるのだが、詳細な記憶が飛んでいるのである。何を思って如何に行動したのかが思い出せない。またそれが思い出せても、他人とどのように交流したか、その内容が欠落していることがままあるのである。

様々な経験をしてもそれを糧にできていないのではないかという不安と、自分の人生が消えていくような名状し難い恐怖に襲われるのだ。特に安定や一貫性を大切にしている(少なくともそうしようと意識している)自分にとって、これは中々辛いものである。

人間の記憶というものは極めて不安定で、主義主張が変わるだけでも以前の思考や記憶が失われると聞く。それならば日記をつけて人生の移ろいを記録し、忘却に抵抗してやろうか。受け入れない過去に向き合い折り合いをつけるのは苦しいが、前進するために必要な過程なのかもしれない。あるいは忘却しやすいこの体質は僥倖なのだろうか。

結論は後の自分に任せて、今はただ只管に卒論の進捗を生むのみである。

 

 

第34回 開扉

ふと就活で失敗した時を思い出しました。

 

私の志望先は少々特殊で、一定の期間に同じ組織を複数日訪問する形式を採っており、訪問した組織の職員の方と様々な面談を行います。そして各日の終わりには人事の方から評価が告げられます。

これが中々残酷なシステムで、採用担当トップの○○さんに会えるかどうか、どのような文言を伝えられたか、等々でおおよその採用見込みが分かってしまう。

二回の訪問で手ごたえは悪くなかった(と思う)のですが、二回目終了後に夜の電話で告げられたのは「次回来ていただいても採用に至らない可能性が有りますが、どうしますか」というもの。

その日の夜は落ち込みましたね、ええ。「十中八九落とすけど、本当に来る?」というものでしたから。

実は二回目の訪問時に予兆のようなものはありました。他の人は既に数回の面接を終わらせているのに、自分はまだ名前すら呼ばれない。やっと呼ばれたと思っても、特に話を深め間もなく終了してしまう。各日の訪問時間は朝から夜まで12時間ほどあるのですが、ひたすら待ち続ける時間は地獄でしたね。

 

話は戻って、件の電話を受け取った後。直後のショックはそんなにでもないんですね。矛盾するようだけど、どこかで落ちるだろうなという諦観と、ひょっとしたらまだ可能性はあるんじゃないかという根拠のない自信がありましたから。

数時間、いや数十分だったかな。じわじわと悲しみ、苦しみがこみあげてくる。こういう時、誰かに話を聞いてもらえば、というアドバイスは通用しないんですね。何故なら下らないプライドが自分の情けない姿を積極的に他人に見せるのを拒否するから。

一人で苦しんで、希望を見出して、また否定して、余計に苦しんで、さらに苦しんだその先に、ようやく現状を受け入れた(という風に暗示をかけた)のです。当該就活は短期集中であるが故に傷心を癒せるだけの時間的猶予など存在しません。

 

3日目、ケジメとして例の組織を訪問しました。結果は分かっていましたが、自分なりに区切りをつけたかった。逃げてサヨナラという形にしたくなかった。

気持ちに整理がついたからか、合格が確実であろう同期たちとも穏やかに接......しましたなんとか。心中はサザンオールスターズでしたけどね。彼らは憎らしいほど優秀で、話してみるとおおよそ納得のいく人たちだったと記憶しています。

お祈り発言を人事担当者から賜り、ケジメも済ませたところで色々質問させていただきました。どこが足りなかったのなどと。納得のいく答えはいただけませんでしたが、今思えば配慮の一環だったのかもしれませんね。事実指摘罪は重罪なので。

 

どうしたものかと席を立つ瞬間、人事の人から「蜘蛛の糸」が垂らされるのですがそれはまた別のお話。

この訪問期間の記憶は奥底で閉扉しており、今少し開けてみたのですが、まだ消化できる状態にはないですね。こういったものは時間にしか癒せないので、もうしばらく扉を閉じておきましょう。錆が付いたころに開けてみれば酒の肴にでもなるのでしょうか。そのまま墓までもっていくことになるのかもしれませんが。

 

 

 

第33回 トーセンジョーダンで言えるかな

「明日のチケット?」

ーー「当選」

「マジで?」

ーー「冗談」

「この後どこに?」

ーー「戦場」

FPSの前に課題の進捗は?」

ーー「千字」

「課題しろよ」

ーー「宣旨!」

「全く、真面目な弟の爪の垢でも飲めばいいのに」

ーー「煎じ?」

「ところで、今回の舞台はモへ」

ーー「ンジョ」

「ダロね。敵は」

ーー「仙女」

「お前が使っているのは諸星」

ーー「ダン」

「サポートキャラは」

ーー「ヨーダ

「あ、負けた」

ーーダンッ!

「お前負ける度にSNSで暴れるのやめた方がいいよ」

ーー「炎上!」

「ところで今度漫画貸してくれ。明日の」

ーー「ジョー?」