第34回 開扉

ふと就活で失敗した時を思い出しました。

 

私の志望先は少々特殊で、一定の期間に同じ組織を複数日訪問する形式を採っており、訪問した組織の職員の方と様々な面談を行います。そして各日の終わりには人事の方から評価が告げられます。

これが中々残酷なシステムで、採用担当トップの○○さんに会えるかどうか、どのような文言を伝えられたか、等々でおおよその採用見込みが分かってしまう。

二回の訪問で手ごたえは悪くなかった(と思う)のですが、二回目終了後に夜の電話で告げられたのは「次回来ていただいても採用に至らない可能性が有りますが、どうしますか」というもの。

その日の夜は落ち込みましたね、ええ。「十中八九落とすけど、本当に来る?」というものでしたから。

実は二回目の訪問時に予兆のようなものはありました。他の人は既に数回の面接を終わらせているのに、自分はまだ名前すら呼ばれない。やっと呼ばれたと思っても、特に話を深め間もなく終了してしまう。各日の訪問時間は朝から夜まで12時間ほどあるのですが、ひたすら待ち続ける時間は地獄でしたね。

 

話は戻って、件の電話を受け取った後。直後のショックはそんなにでもないんですね。矛盾するようだけど、どこかで落ちるだろうなという諦観と、ひょっとしたらまだ可能性はあるんじゃないかという根拠のない自信がありましたから。

数時間、いや数十分だったかな。じわじわと悲しみ、苦しみがこみあげてくる。こういう時、誰かに話を聞いてもらえば、というアドバイスは通用しないんですね。何故なら下らないプライドが自分の情けない姿を積極的に他人に見せるのを拒否するから。

一人で苦しんで、希望を見出して、また否定して、余計に苦しんで、さらに苦しんだその先に、ようやく現状を受け入れた(という風に暗示をかけた)のです。当該就活は短期集中であるが故に傷心を癒せるだけの時間的猶予など存在しません。

 

3日目、ケジメとして例の組織を訪問しました。結果は分かっていましたが、自分なりに区切りをつけたかった。逃げてサヨナラという形にしたくなかった。

気持ちに整理がついたからか、合格が確実であろう同期たちとも穏やかに接......しましたなんとか。心中はサザンオールスターズでしたけどね。彼らは憎らしいほど優秀で、話してみるとおおよそ納得のいく人たちだったと記憶しています。

お祈り発言を人事担当者から賜り、ケジメも済ませたところで色々質問させていただきました。どこが足りなかったのなどと。納得のいく答えはいただけませんでしたが、今思えば配慮の一環だったのかもしれませんね。事実指摘罪は重罪なので。

 

どうしたものかと席を立つ瞬間、人事の人から「蜘蛛の糸」が垂らされるのですがそれはまた別のお話。

この訪問期間の記憶は奥底で閉扉しており、今少し開けてみたのですが、まだ消化できる状態にはないですね。こういったものは時間にしか癒せないので、もうしばらく扉を閉じておきましょう。錆が付いたころに開けてみれば酒の肴にでもなるのでしょうか。そのまま墓までもっていくことになるのかもしれませんが。