第9回 縁

約2週間ぶりにこんにちは、Znです。

 

 

突然ですが、皆さんは神社参詣に行きますか?

年末年始および受験など大事なイベントの前には行く、という人が多いのではないでしょうか。

 

私は参詣が好きで、近所の神社にも足繫く通っています。

多少なりともオカルト的な力にあやかりたい、というのも勿論あります。

しかし神社とは、自分に改めて向き合う場としての側面も有しているのではないでしょうか。

 

まず一礼して鳥居をくぐる。厳かでどこか世俗とは異なった空気を浴び、手を清める。

神殿の前で二礼二拍手一礼し、一度心を落ち着け、精神を清める。そして神に相対する。

神に祈る際に浮かんでくるのは、これまでの自分が御加護を授かるに値する努力を行ってきたかどうか、ということです。

私は十分な精進を重ねてきたという自負があって初めて、神に見守ってもらうよう祈願できるように感じるのです。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、まず人事を尽くす必要があるのではないでしょうか。

 

定期的に自分の行いを振り返り、時には自省し、時には自信を得る。

このようなプロセスを通じて、ややもすれば拡散しかねない「自分」という存在を再確認・確立する。神社とは、そんな縁(よすが)になりうる場所ではないか。

もちろんこれはあくまで私個人の考え方です。神社や儀式については他にも様々な考えがあって当然でしょう。こんな考え方の奴がいるんだな、ぐらいに思っていただいて構いません。

 

もう一つ、神社は思わぬ縁(えん)をもたらす場所でもあります。

皆さんにも、ここぞというときに訪れる場所や慣行があるのではないでしょうか。

 

私の場合、何気なく訪れて参拝したとある神社が、自分や友人、兄弟の合格などと結びつき、今では大事な験担ぎになっています。その性質上、神社はこのような貴重な縁に結びつきやすい場でもあると言えるでしょう。

 

なんだかスピリチュアルな話が多分に入った文章になってしまいました。それでは今回はこの辺で筆を置かせていただきます。

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スピリチュアル娘の例(可愛いので許される)