第19回 たいむいずまね

こんばんはZnです。

 

友人に刺激されて、自分も久々になにか書いてみたくなりました。

いつも通り、月並みな駄文であちこち脱線しているだろうけど悪しからず。

 

さて、最近またバイトを再開し、月の収支がプラスになり始めました。

そんなある日、ふと思ったわけです。自分は何の為にお金を稼いでいるのだろうと。

これは別に拝金主義に対する絶望とか、俗世に対する虚無感みたいなものではありません。(もしかするとそれに近いのかもしれないけど)ただ何となく自分を内省してみたくなったのです。

幸運なことに、自分は毎日お金を稼がなければ死んでしまうほど困窮しているわけではありません。金使いの荒い彼女も別にいない。

かといって、何か大金をつぎ込んで買いたいものがあるわけでもなく、ゲーセンのように少額ながら頻繁にお金を使うような趣味があるわけでもありません。

 

では自分はなぜお金を稼ぐのか、もっと突き詰めれば労働をして金を得ようとする目的は何なのだろうか。

何か労働を通じて社会貢献をしたいという崇高な理念や、就職活動などで活かしたいという打算的な理由は恐らく当てはまりません。友人と遊ぶ金が欲しいという理由も外れているわけではありませんが、根幹では無い気がします。

色々考えた結果、辿りついた結論は次の通りです。

「金が欲しいから金を稼いでいるのであって、何か主たる目標や理由があるわけではない」

金を稼ぐことが自己目的化していたのでした。うーん。

友人たちが趣味のことについて楽しげに語ったり、周辺環境を整えたりする話を聞くたびに、何とも言えない寂しい気持ちになっていたのを思い出します。

厳密には自己目的化というより、お金があることによる安心感を欲しているのだと思います。もっと言うならば、お金が減ることによる喪失感を恐れているのです。人間には損失回避性が有ると説明したのはプロスペクト理論だったかな。

そして最近はそういった安心感からも離れて、惰性で労働を続けているのかもしれない。株とかギャンブルとか他にも金を稼ぐ方法はあるだろうけど、面倒臭さが先行して始められない。敷衍すれば何か新しい世界や方法を模索するのを諦めている。これでは歩く屍のようなものではないだろうか。

 

いまだに私は行尸走肉です。早くヒトに転じた(戻った?)方がいいのでしょう。

まずは屍の心地よさから抜け出さないと。